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ぼちぼちいこか

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食糧システム
 徹底的な貿易の自由化と規制緩和によって合併、統合を繰り返した末に巨大な「アグリビジネス」によって、途上国の貧しい生産者たちが魂を削って収穫した農作物が、徹底的に買い叩かれている。

 しかし、アグリビジネスは、先進国の大手食品メーカーからの厳しい値下げ要求に、統合を繰り返して巨大化し、常に地球上のもっとも安い農産物を見つけてくる以外に生きる道はなかった。

 そして食品メーカーの後ろには小売市場を支配するメガ小売店やスーパーマーケット・チェーンが控えている。メガ小売店からの厳しい値下げ要求や、より売れる新製品の開発要求に晒され、その内実は限界を超えるまでに消耗していた。

 更に、その巨大スーパーや巨大食品メーカーの後ろに控えていたのは、「一円でも値段が高ければ、よその店から買ってしまう、一円でも安くしろと命じている」私たち一般消費者であった。

 食経済の各階層で、自分たちが生き残るためにやむを得ないような選択を繰り返した結果にすぎない。まさにグローバリゼーションは誰も幸せにしない。我々消費者の目には、そのような不幸の連鎖の構造が、できるだけ見えないような仕組みが出来上がっている。我々はグローバル化という名の、日々自分で自分のクビを絞めていくゲームに知らない間に巻き込まれ、大勢の人を不幸にしながら、知らない間にそのゲームに夢中になっている。

 その構造は小田理一郎氏のシステム思考によっても明らかにされている。



 一見豊かに彩られたスーパーマーケットの棚の裏でどのような事態が進行しているかを知り、それぞれが自分の問題として考えない限り新しい解が出てくることはない。我々一人ひとりの、わずかな無関心さや、ちょっとした無神経さが回りまわって、あるいは幾重にも度重なった結果生まれてきたものにほかならない。

 人間のもっとも基本的な営みであるはずの食を、純粋な経済行為として扱ったところに、最初のボタンの掛け違いがあった。我々一人ひとりが食を単なる経済行為ではない、人間が生きていく上での尊い営みとして捉え直し、その思いを何らかの形で行動に移していくことで、初めて何かが少しずつ変わり始めるに違いない。

 (出典:「ポール・ロバーツ著「食の終焉」神保哲生氏の訳者解説より引用」)

 そういったことが宇根豊著:百姓学宣言(2011 農分協)の中で「経済を中心にしない生き方」として書かれている。
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